プロというのはコミュニティの発展に貢献できるひとを指すと考える。コミュニティの拡大とコミュニティに対する理解を広めるために、自身の活動が反映されるとき、その活動者はプロフェッショナルと考える。
たとえば年収が1000万円でも業界全体に対する貢献度が低ければプロフェッショナルとは考えられない。なぜならエコシステムの拡大や繁栄に貢献していないのならば、それは搾取であるからだ。反対にエコシステムから搾取せず、拡大や繁栄に貢献していれば、そのエコシステムに新たに参加するひとや、既存のメンバーが得られる報酬が増える。活動そのものがポジティブフィードバックになっているひとをプロと考える。
この考えにもとづくと
- 家族のプロ(生活を快適に、より活動的になれるように貢献してくれる。とか)
- 友達のプロ(非日常的なことを、または安定した体験を提供してくれる。とか)
- 顧客のプロ(学ぶ機会をより多く、評価を忍耐強くしてくれる。とか)
という考え方も発生してくる。
一般的には稼ぎを得られてプロと言える、という認識があると思うが、はたしてそうなのだろうか。というのが出発点にある。
たとえば掃き掃除のプロとか茶化して言うときあって、稼ぎは得られていないけれど、プロフェッショナルさというのは感じると思う。散歩のプロとか。どこにプロフェッショナルらしさを感じるのだろうか。
それは学べる点がたくさんあり、知識やノウハウが蓄積されていて、それをシェアすることに全くの抵抗がないひと、のような気がする。
逆にスゴいテクニックやノウハウを持っていても誰にも伝えない場合、コミュニティ全体の向上につながらず、害悪だし本当にジャマ……。衰退していくコミュニティはだいたいこんな感じのひとが残ってしまうのだと思う。
着想は GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 より。