テクニウム読了

Published: 2017-02-07 17:54
Updated: 2017-02-14 09:39

テクノロジーは近い将来から遠い未来まで変容して、強度、素材、エネルギー、の問題から、構造、組織、情報、制御の問題に転換していく

しかしわれわれは、このままということはない。このままだったことはない。

進歩は現実だ。

時代にあまりに先んじてしまった発明や発見には価値がない。誰もそれを追うことができないからだ。

生物学的な比喩で言うなら、人が思春期を迎えるのは必然だが、非行に走るかどうかは違う。

新しいものが選択肢として与えられて、それを受け入れるかどうか選べるとしても、それは必ずしもずっと選択可能というわけではない。多くの場合、新しいテクノロジーは、それを使うことを結局のところ強制するように社会を変えてしまうのだ。

しかしそこでじっと仕事を続けていると、喜びがわいてきたが、未来的なものは何も感じなかった。(中略)なぜ気分が良かったか?誰もそれを「論理的な予測」から導き出すことはできないだろう。それはあまりに複雑で深遠すぎて論理では扱えない。まず、それを成し遂げたことで気分が良かった。論理的ではないかもしれないが、意味はわかるだろう。さらに、収穫が十分でき、いい感じできちんと仕事ができた。またお互いを好きで、そうしたくて一緒にいた。

あなたがウェブ・デザイナーになれるのも、周りの何万人もの人々が可能性の領域を広げてきてくれたからだ。農場や小規模店を超えて、新しい経験や考え方を可能にする電子装置の複雑な生態系を発明してきてくれたおかげだ。あなたが会計士になれるのも、創造的な数かぎりない人々が会計のための論理や道具を考案してきてくれたからだ。もし科学者なら、道具や研究分野は他人が創造してくれたものだ。写真家だろうが、スポーツ選手だろうが、パン屋だろうが、自動車修理工だろうが、看護師だろうが、潜在力を開花させる機会は他人の仕事によってもたらされている。他人が拡張することで自分も広がり続けるのだ。

自分の満足を最大限にするには、個人で最小限のテクノロジーを使うようにする。しかし他人の満足を最大限にするには、世界のテクノロジーの量を最大限にしなくてはならない。

結局、人間の知性という最も美しいものが、残忍なアイデアを生み出す力を持っているのだ。発明やアイデアはじっさいのところ、ひどく乱用されなければものすごいものにはなれない。これをテクノロジーに対する期待の第一法則としよう。つまり、新しいテクノロジーの約束するものが大きければ大きいほど、それがもつ潜在的な害悪も大きなものになる。

GRIN geno, robo, info, nano

自立共生的 convivial というのはすばらしい言葉で、その語源は「生命と両立できる」ということだ。

テクノロジーは一般向けに生まれ、専門家に向かって成長するのだ。

テクノロジーがぽつぽつと現れただけでも、一次的な影響はわかる。しかしテクノロジーが文化を飽和させるまで、二次的、三次的な結果は現れない。さらにわれわれを怯えさせる不測の事態が現れるのは、偏在化した時であることが多い。

例えば、原子より小さな粒子が崩壊したりスピンの方向を変えたりする瞬間は、自由意志が働いたせいなのだ。(中略)ところが粒子が自発的にさらに小さな粒子に分解したり、エネルギー波になったりすることは予測できず、物理法則でも決定されていない。こうした宇宙的な波への分解は、「無秩序」な減少と呼ばれることが多い。(中略)つまり、数学的、論理的に残された唯一の選択肢は自由意志だ。(後略)

「機械が増えれば、より自由が得られ、より自由があればより人間的になれる」

グリーブル(物の表面に、長い歴史を経たような複雑な質感を与える加工)

(前略)関連性が知識に力をもたらしている。(中略)事実が何千も相互参照があって自己検査できる知識の百科事典の中に織り込まれることで、知識の構造が拡張される。(中略)こうした関係性の強さを、われわれは事実と呼ぶ。

われわれは良いことを強制されているのではなく、その機会を与えられているだけなのだ。

より機会の増えた世界では、より多くの機会を創出できる人を生み出せる。

車輪の発明ひとつで、(中略)多くの人々がそれを通して、自分の物語を見つけた。

テクニウムは個人がより多くのアイデアを生み出して参加していくことのできる、材料、知恵、経験、伝統、選択肢などを蓄積したものだ。文明は8000年前に川のほとりから発生したが、時とともに次世代のための可能性や機会を増やす過程と考えてもいいだろう。

無限ゲームは、ただ続けるためのゲームだ。誰も勝者はいないので、終わることはない。(中略)無限ゲームは、ルールを変えることでしか続かない。終わらないためには、そのルールでゲームは実行されなくてはならない。

テクノロジーはなぜうまれたのか、それはいつからなのか、それは一体なんなのか。宇宙に無秩序が発生した瞬間から構造化するチカラ(エクソトロピー)が働きつづけ、可能性と選択肢が増え続けてきた。素粒子の自由意志の上にわれわれがあり、テクノロジーの子どもであるわれわれは、テクニウムの子どもである。テクニウムはわれわれを超えて知性を拡張し宇宙に満ちていく。

産めよ 増えよ 地に満ちよ